昭和44年8月17日 夜



 今日は一日、御大祭のごじんぎで皆さん一生懸命、まあ言わば、内外ともに、てんやわんやの状態でまあお広前は賑おうておりましたけれども、なんかしらん私はこうバランスのとれない一日だったと。もう朝から、あの今日、美登里会の方達の特別奉しゅうの御祈念会でございました。その時にも、私御祈念ごぶれいした。それから、さっき御祈念前に、(    の話が)今日は、(       )から帰ってきて、帰ってまいりましたと言うて言うてきましたけれども、とうとうご無礼してから出られなかった。
 とにかく何かこう、いわゆるバランスのとれない一日であった事を、神様にお詫びさし頂いておりましたら、先日あの、内田こういちさんがあの、この大きな鉢に松の、作りった松なんですけども、大きなあの松の、丁度植木鉢のような感じのね、お供えしておられます。その下にあの、鶴と亀とがこう、鶴が2匹もおるんです。亀がこう。こりゃあ、鶴は一匹でよかろう。亀は、亀と鶴だけでよかろうと思ったけど、ほんに、二つながら上をむいとる鶴だから、まああの、鶴が、あの上を向いておるのと下を向とるのにすれば、まあバランスがとれてよかろうと私が思うておったんですけども。まあ、そのことお届けさしてもらいよったらその事を頂くんですよね。
 この、一生懸命の、例えば皆さんが御用を、大祭前の御用をなさった。暑い中に、様々な御用をなさった。けども、ただ一生懸命その、今日はようさばけた。よう出来たというだけではいけない。今も、熊谷さんがお届けされますように、もうほんとに、今忙しいまあ一日、教会の事も、自分の家のこともでしょうけれど、けれども、先生今日は客殿の方のお掃除さしてもらう時に、お便所を心行くまでお便所のお掃除に打ち込んでお掃除さして頂いたら、それが有り難かったと言うておられますようにですね。とにかく忙しいと、とにかく上を向いてばっかりで仕事しておるという感じですね。
 それは、さばける、さばけんは別として、その事。でその事を打ち込んで信心でなされていくというようなおかげを頂きませんと、やはり、有り難いというものが薄らいでまいりますと、確かに、その、ただ、ああ忙しかった、忙しかったというだけであったり、忙しかったけれども、有り難かったというものになってこない。有り難いと忙しいとのバランスが崩れたような忙しさではいけないなというようなことを、今日一日の事から、まあ感じさして頂いたんですけれども。私まだ今から、今からではまだ遅くはない。休むまでに何とかそこに、バランスのとれた内容、信心、自分の心の状態と言うものを何とか工夫しなければならんなと思って、まあ御祈念を終わらして頂いたようなしだいでしたけれどですね。
 ただ、沢山の事が出来たというだけでは、仕事が出来たというだけでは、それは、ほんとに目の荒い事ではないかとこう思うですね。バランスというのは、必ずしもこう、同じじゃなくて、例えばその、鶴が2匹おるなら、1匹は上を向いておる、1匹は下をむいておると、これでもやっぱりバランスがとれるのですから。まあいろいろ工夫しなければいけない。一日の上においてもとくに、今日は忙しいという時には、とりわけなんかそこに一つの焦点をですね、はっきりしてまいりませんと、丁度、今日私が一日の御用のように、何かこう、何とはなしにバランスの崩れたような一日であったことを相済まないとこう思うておりますけどもね。どうぞおかげを頂かなきゃいけません。